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岡山地方裁判所 昭和56年(タ)8号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

下光軍二

被告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

横田勉

主文

原告と被告とを離婚する。

訴訟費用は被告の負担とする

事実

第一  当事者の求めた裁判

(原告)

主文同旨の判決

(被告)

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする

旨の判決

第二  当事者の主張

(請求原因)

一  原告と被告は昭和三四年六月一九日婚姻の届出をした夫婦である。

二  前回訴訟までの経緯

1 原告と被告は、右届出に先立つ同年四月五日挙式し原告肩書住所で同居したが、性格不和及び原告の母との不仲のため、同年一一月四日被告が実家に帰り、以来現在まで二七年余別居している。

2 原告は、昭和三六年一二月二六日、被告の同意を得たとして、協議離婚の届出をしたところ、被告から岡山地方裁判所に対し離婚届出無効確認請求事件(昭和三七年(タ)第二九号)の提訴があり、昭和三八年八月一七日認容判決が確定した。

3 そこで原告は、昭和四〇年初めころ、岡山家庭裁判所の調停を経たうえ、岡山地方裁判所に離婚請求事件(昭和四〇年(タ)第一三号)を提訴した。しかし昭和四一年一二月二六日敗訴になり、控訴、上告したが、いずれも敗訴し、昭和四三年七月二日確定した。

その理由の大要は、①被告に悪意の遺棄があつたとは認められないこと、②原被告の婚姻は破綻に瀕しているが、被告には、取り立てて非難すべき点が見当らず、原告に対する愛情もあり、共同生活をする希望を捨てていず、反感やいやがらせから離婚に応じないのではない、他方原告は、終始離婚の意思を固め同居、協力、扶助の義務を履行しようとせず、被告の犠牲の下に離婚という形で解決を策したものであり、婚姻関係が破綻に瀕していることの大半の責任を負つている、というものであつた。

三  新しい離婚原因の発生

1 被告の悪意の遺棄

(一) 被告は、前回の離婚訴訟において勝訴したのであるから、判決理由でいう、原告に対する愛情や共同生活への希望があるならば、原告が、病気の母を抱え△△市の職員として地元を離れることができないのであるから、自ら東京での勤務をやめ、あるいは勤務先の△△市内営業所に転勤を希望し、原告の許へ帰るか、少なくともその近くに居を移すべきであろう。

(二) しかるに被告は判決確定後現在まで一九年近くの間、手紙や電話で、夫の健康や安否を気遣つたり、妻である自分の近況を報告したりなど一切せず、音信不通のままである。

昭和四五年一二月ころ被告の実父が死亡したので、原告がくやみに訪ねた際には、面会を避け、更に後日人を介して、持参した香典さえ突き返してよこした。

また、原告が昭和五三年五月一日から昭和五五年三月末日まで東京(△△市東京事務所)に単身赴任していた際にも、原告が再三面会を求め、電話連絡をしたのに、被告は面談を避け続け、一度の懇談の機会も持つことがなかつた。

更に、被告は昭和五四年一〇月肩書住所地にマンションを購入し引越したが、原告には、事前の相談はもとより、転居先も教えなかつた。この事実は、原告の居住する倉敷には永久に帰らず、自己独自の生活設計を建てたことを示すものにほかならない。

(三) 被告はこのように長い間原告を頑なに避け続けているのであつて、悪意の遺棄をしているというべきである。

2 婚姻を継続し難い重大な事由がある。

(一) 原告と被告は同居したのが、前記のごとくわずか七か月間であり、その後は現在まで二七年余の間倉敷と東京・川崎市に離れて別居状態にある。原告は五八才で停年も近く、被告も既に五五才になり、いずれの人生も初老期にさしかかり、その間に子供はいない。

(二) 被告は、前記1のごとく、原告に対する愛情も、共同生活への希望もすべて喪失している。被告は、日本女子大学を卒業した知識人であるから、その気になれば、どんな方法でもとれたのに、事態を流れるままに放置し、夫たる原告に対し時候の挨拶や近況連絡もせず、住居や勤務先さえ秘し、話合の場を持つことも頑なに拒否し続けている。もとより、別居の原因となつた姑との不仲を解消すべく一片の努力もしていない。

(三) 原告は年老いた老父母をかかえ、独り身のわびしさと不自由さを免れるため、前回の離婚訴訟の二審判決直後である昭和四二年一二月一七日、事前に、その訴訟を委任していた小山弁護士や、被告の兄達、仲人等とも相談し、被告が原告の許に戻つてこないことを確認のうえ、訴外A子(以下「A子」という。)と内縁関係を結んだ。そしてその間に、昭和四三年一〇月二二日長女春子を、昭和四五年一一月三〇日次女秋子を儲け、それぞれ認知している。

(四) これらの事情を総合すれば、もはや原被告の婚姻関係は、復元できる見込が全くなく、破綻していることが明らかである。

四  よつて原告は、民法七七〇条一項二号及び五号に基づき、原告と被告とを離婚する旨の判決を求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因一の事実は認める。

二  同二の各事実中、1の別居原因は否認し、その余はすべて認める。

三1(一) 同三1(一)の事実は争う。

被告は、別居以来原告から一切の扶助がなく自活しなければならなかつたのに、ことあるごとに不当に離婚を強いる原告の許へ、単純に勤務をやめて帰れるはずがない。しかも原告は後記のとおりA子と同棲していたのであるから、いわんやをやである。

(二) 同三1(二)の事実は否認する。

(三) 同三1(三)の事実は争う。

2(一) 同三2(一)の事実は認める。

(二) 同三2(二)の事実は否認する。

被告は、前回訴訟で勝訴後、原告に対し、「帰ります。帰れる状況を作つて下さい。」と言い続けてきたし、現在でも原告の許に帰る意思を失つていない。

(三) 同三2(三)の事実中、原告の母が病弱であつたこと、A子と内縁関係を結びその間に二子を儲け認知していることは認めるが、その余は否認する。

(四) 同三2(四)の主張は争う。

四  同四の主張は争う。

(被告の主張)

仮に原被告の婚姻が破綻しているとしても、それは原告の婚姻義務違反にもつぱら又は主として起因するものである。すなわち、

一  原告は、婚姻生活から生じた違和感を、共同生活の円滑を図るため適切な策を講じて改善しようと努めず、性急に、離婚という形で解消しようと企図し、婚姻関係の継続を希望する被告の犠牲をも顧みず、手早やに次々と手段・方策を弄し、夫婦間の不和をますます醸成し、かつ婚姻関係を復元の見込がない状態に立ち至らせた。

すなわち、①無断で協議離婚届を作成提出し、②被告が離婚届無効確認の判決を得ると、形式だけの同居請求の審判を申立て、③被告が同居に応ずる意向を示すと、右申立を取下げ、離婚訴訟を提起し、④右訴訟の二審で敗訴すると、被告を帰らせないため、職場の同僚のA子と内縁関係を結び、⑤敗訴確定後は、人を介しあるいは自ら、被告に離婚を強要し、⑥この度は、婚外子の出生などの事由をも付加して本件訴訟を提起したのである。原告のかかる恣意的行動は重大な婚姻義務違反である。

二  原告は、A子と、前回訴訟で第二審裁判所の離婚を許さないとの公権的判断のおりた直後ころ、これに逆つて、挙式内縁関係を結んだ。当時いまだ原被告間の婚姻が破綻しているとまではいえない状態にあつたのだから、これは極めて重大な婚姻義務違反行為(民法七七〇条一項の不貞行為、悪意の遺棄に該当する。)であり、このときから、新たな有責事由が更に一つ加わつたのである。

したがつて、原告は有責配偶者であり、破綻を原因に離婚請求をすることができない。

(被告の主張に対する認容)

被告の主張一、二の事実中、原告が協議離婚届を作成提出したこと、離婚届無効確認の判決があつたこと、原告が同居請求の審判を申立て、その後取下げ、離婚訴訟を提起し、二審敗訴後A子と内縁関係を結んだことは認め、その余は否認する。

(原告の反論)

一  有責性の欠如

1 前回判決後に次のごとき新しい事情が発生した。

(一) 被告は、請求原因三1、2のごとく、原告に対する愛情や共同生活の意思がなく、原告からの働きかけにも自らは和合への努力を全く拒否し、すべて原告に責任を転嫁し、頑なで協調の余地を持たず、別居する際、「一生別れてやるもんか」と言つた捨て台詞のとおり、形骸化した戸籍上の妻の地位に意地と反感でしがみついている。

(二) 原告は昭和六一年三月一九日の和解において、被告が協議離婚に応じてくれれば、二五〇〇万円を支払う旨提案した。この金額は、一地方都市の公務員に過ぎない原告にとつては、母、子、A子らの分まで合わせた洗いざらいの財産のうえに、更にその居住家屋を担保に入れ金融を受け、やつと絞り出した全財産であり、原告の誠意と決意を示したものである。被告はこれを拒否したが、原告は、判決によつて離婚が認められた場合においても、要求ありたるときより一か月以内に支払う旨誓約している。

(三) 被告は別居以来二七年余の間、一度も原告に対し生活費を請求することなく、安定した収入を得て独立した生計を営んでおり、マンションも購入している。そのうえ、右二五〇〇万円を受領すれば相当ゆとりのある生活ができる。

また被告の近くには、実兄がおり、孤独に追い込まれることもない。

(四) 原被告間には子がいないから、離婚によつて子の利益が害されることもない。

むしろ形骸化した婚姻を継続することは、原告とA子との間に生れた二人の娘の福祉を害することになる。

2 これらの諸事情を総合すれば、前回の判決が述べるごとく、婚姻を継続し難い重大な事由を招来したのは、その発端において原告側に責任があつたとしても、その後今日に至るまでの間には、被告の頑なな不協力などのため、婚姻の復元の見込みがたたなかつたものであり、したがつて、破綻に至る原因としては、被告側にも大巾な、少なく見ても一半の責任がある。そして被告には離婚を認めても経済面でも生活面でも不安がなく、子供もいないのであるから、もはや実体のない婚姻に固執せず、高額な金銭給付を受け取り、原告とA子やその子たちを解放すべきである。

二  権利濫用等

仮に一の主張が認められないとしても、被告は前記のごとく既に二七年余にわたり妻の権利を行使していないし、原告の有責行為もその後長期間を経過しているのであるから、民法の時効ないし公訴権の消滅時効(最長一五年)とのバランスもあり、右一におけるその他の諸事情をも考慮すれば、被告の現時点における離婚の拒否は、身分権の濫用である。

(原告の反論に対する認容)

一1  原告の反論一1の各事実中、原告が和解において二五〇〇万円を支払う旨提案し、被告がこれを拒否したこと、原被告間に子がいないことは認め、その余はすべて否認する。

2  同一2の主張は争う。

二  同二の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一原被告の婚姻

〈証拠〉によれば、請求原因一の事実を認めることができる。

二婚姻を継続し難い重大な事由の存否

1  〈証拠〉を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は昭和三年五月生れで早稲田大学を卒業し、○○市(現在△△市)に勤める公務員であり、被告は昭和七年二月生れで日本女子大学を卒業していたところ、被告が学友の妹であつた関係で原告と知り合い、昭和三四年四月五日結婚式を挙げ、原告の母のいる原告肩書住所地で同棲し、同年六月一九日前記のとおり婚姻の届出をした。

(二)  しかし原告の母は気むずかしくやがて被告の一挙一動悉くに難癖をつけるにいたり、被告と母との折合いは日を追うに従い悪化の一途をたどつた。

原告は、婚姻当初こそ被告に愛情を示し被告をかばつたりしていたが、間もなく母に同調して次第に被告に対する愛情を喪失し、ついには離婚を決意するに至つた。もつとも原告は、被告に対し、唐突に離婚の意思を伝えることもできなかつたので、母の気持を休めるためにしばらく実家に帰つて冷却期間を置いてはどうかと別居を提案し、離婚につながることを怖れてこれに反対していた被告にしぶしぶ承知させ、被告は同年一一月四日○○市××にある実家に帰つた。

(三)  被告は別居後間もなく懐妊に気ずき、同月末ころ原告に伝えた。しかし原告からは離婚したいので堕胎してくれといわれ、自分が原告方でおかれている状況や実家での長期滞在が困難である事情等を考慮ししばらくは自活の方途をとる必要もあつたので、やむなく同年一二月一九日胎児を堕して同月二一日上京し、東京都品川区×△五丁目所在の△○荘に居住する次兄B男(以下「B男」という。)方へ身を寄せ、次兄らに自分の身の処し方につき原告と交渉してもらうことにした。

B男らは原告に対し手紙等で原被告の仲をとりもとうとつとめたが、原告は一途に離婚を求め、被告はこれを否定するのみで、事態は少しも進展しなかつた。

(四)  かくするうち、離婚を熱望する原告は、昭和三六年一二月二六日被告の諒解を得ることなく、勝手に戸籍吏に協議離婚届を作成、提出した。しかし被告から離婚届出無効確認請求の訴(岡山地方裁判所昭和三七年(タ)第二九号)を提起され、認容判決を受け、同判決は昭和三八年八月一七日確定し、戸籍訂正がなされ失敗した。

そこで原告は、離婚の目的を達すべく、右事件の原告訴訟代理人であつた小山昇弁護士に訴訟外での話合を依頼し、これを受けた同弁護士が同年九月三日被告に解決の労をとりたい旨申入れたが、被告に無視された。続いて自ら同年一一月二八日付書面をもつて被告に対し、過日の裁判で貴殿が勝訴した、ついては不本意ながら同居しなければならないと思うので至急帰宅されたいと申入れをし、更に昭和三九年四月一三日岡山家庭裁判所児島出張所に被告を相手どり、真実はその意思がないのに、同居請求の審利を申立てた。しかし被告が、右事件につき調査嘱託を受けた東京家庭裁判所の調査官を経由して、原告と同居したい意向を持つている旨伝えると、原告は同年一二月八日被告に手紙を出し、同居に応ずる由であるので、至急帰つて来るよう、しかし同居を永続する自信が全くないことだけは申し述べておく旨伝え、その後昭和四〇年一月五日右審判申立を取下げた。

続いて原告は、被告を相手どり、岡山地方裁判所に離婚請求訴訟(昭和四〇年(タ)第一三号)を提起したが、昭和四一年一二月二六日敗訴判決を受け、控訴(広島高等裁判所岡山支部昭和四二年(ネ)第一六号、―以下控訴審判決を「前回判決」という。)、上告(昭和四三年(オ)第一三三号)したが、いずれも敗訴した。その理由の大要は請求原因二3第二文記載のとおりであつた。

(五)  原告は前回判決言渡直前ころ、既に被告と別居以来八年の歳月が流れ離婚できる目途もなく、母も病弱で困り果てていたところ、そのころ、かねてから職場が同じで知り合い、婚約失敗の相談等にのつてやつたりして親しくしていた訴外A子(当時はF姓、昭和一三年二月生れ、以下「A子」という。)に事情を打ち合け、同情を得たりして内縁に入る合意を得た。そこで小山弁護士らと相談したうえ、昭和四二年一二月一七日挙式し、原告方で同棲した。

(六)  以来原告とA子は現在まで、途中原告が昭和五三年五月から昭和五五年三月まで一時東京に単身赴任をした期間以外は、原告方で同棲、内縁関係を続け、その間、昭和四三年一〇月二二日に第一子の春子を、昭和四五年一一月三〇日に第二子の秋子をそれぞれ儲け、原告はそれぞれそのころ認知を行つた。またA子も昭和四三年五月一一日原告の父母と養子縁組を結び甲野姓を名乗つている。

(七)  被告は上京後数年間B男の下で居候をしていたが、その後同じ△○荘の一階に別れ、昭和五四年ころには肩書住所地にマンションをB男と共同名義で購入し、以来現在まで同所に一人で居住してローンを返済中である。また仕事は上京後一時中学校の教師をしていたが、昭和四〇年ころからは民間会社に入り、語学力を生かして現在まで勤務しており、生活は、つましいながら現時点では一応安定している。

原告との仲は、後記のごとき原告側から離婚話の働きかけがあつた場合を除くと、手紙のやりとりをはじめ一切没交渉のままである。

(八)  原告は、前記上告判決で負訴後も、親戚の者や小学校の恩師らに被告を訪ねてもらつたり、あるいは自らも、再三再四、被告に電話をしたり、その勤務先や住居を直接訪ねたり、また被告の兄らに仲介を頼んだりして、離婚の承諾をめざし、打てる手をほとんど打ち盡くした。しかしこれらの多くは後記のとおり、被告の立場に思いやりを欠いた原告の一方的な態度も手伝つてことごとく失敗し、被告はますます堅く殻に閉じこもつて話合の場に出て来ず、離婚には応じられない、帰えれる状態を作つてくれたら帰る旨紋切り型の応待を繰り返すばかりであつたし、また、かつての学友・同窓の仲である被告の兄らも仲に入ろうとはしなかつた。

(九)  A子は、現在も△△市に公務員として勤めているが、原被告間のそのようなやりとりの中にあつて、内縁開始にあたりある程度の苦労は覚悟していたものの、予想以上の母のむずかしさに泣かされ、被告からの厳しい対応等に苦しみ疲れ、また被告が結婚につまづいた原因についてもそれなりに同性として理解と同情の念も懐き、自分が身を引くことも真剣に考慮したものの、二子もいることであり、それも容易ではなく、思いあまつて、原告が留守をしていた昭和四七年六月ころ、原告が東京に単身赴任中の昭和五四年一〇月一四日ころ、それから昭和五五年一〇月二九日ころの三回、被告にあてて手紙をしたため、赤裸裸に自己の心情を訴え、許しを乞うとともに、できる限りの財産的給付等の償いはするから原告と別れて欲しい、もし今も原告に愛情を持つていてそれがだめなら自分が身を引くからかわりに来て欲しい旨伝え、そのころまた電話ででも同様のことを訴えたりした。

被告はA子の電話に一時初めてわずかに心を開きかけたかにみえたが、結局従前同様これをも受付けなかつた。

(一〇)  原告は更に昭和五五年六月横浜家庭裁判所川崎支部に被告を相手どり夫婦関係調整の申立をしたが同年一一月七日不調になり、昭和五六年三月二日当庁に本件離婚訴訟を提起した。

(一一)  原告やA子は、前記の交渉中既に財産的給付として最大限に近い金額を提供する旨伝えていたが、昭和六一年三月一九日に行われた本件訴訟の第一九回弁論期日において原告訴訟代理人を通じ被告訴訟代理人に対し、二五〇〇万円を財産分与等として、話合がまとまり次第一定期間内に支払うので離婚に応じてもらいたい旨提案し、その資金作りの根拠をも示して和解を真剣に求め、更に昭和六一年八月二五日の第二一回口頭弁論期日にも再度同様の和解案を提出し、その後も将来(本件判決後も含む。)にわたり継続して右提案を維持し続ける旨かたく誓つている。

なお原被告が同居中において作つた財産は皆無である。右の提供金は、原告やA子らが所有する資産のほとんどすべてによつて作るものである。

しかしながら、原告らのこれらの提案に対し、被告は、いずれも一顧だにせず、金銭はいらない、離婚には応じられない、このまま甲野の妻としてそつとしておいて欲しいと繰り返すのみであつた。

(一二)  そこで原告は、原告訴訟代理人と相談のうえ、本件訴訟につきその帰趨を考え取下げることとし、同年八月三〇日取下書を提出したが、被告はこの取下にも同意しない。

(一三)  なお原告は、前記のとおり上告判決敗訴後被告と離婚の交渉を行つた際にも、前回判決時と同様、自分の離婚の意思を実現すべく、被告の職場や、△○荘や被告の肩書きマンション等に被告の都合等も考慮せずぶしつけな方法で訪門、調査、交渉したりしているし、昭和四八年一月から二月にかけては被告の素行や会社での評判を調査したり、その結果実兄B男との仲を疑つたりして更に調査を進めるなどしているし、また、自分の目的を達するためにはこれらの調査や訴訟等に経費を惜しまないのに、被告に対しては、生活費等を送つたりなど被告の心が開いてくるような思いやりある行動を皆無といつてよいほど行つていない。

以上の事実を認めることができる。

原告及び被告(いずれも第一回)の本人尋問の結果中右認定に反する部分はにわかには措信しがたく、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2  右認定事実によれば、次のとおり判断される。

(一)  原被告の婚姻は、同居期間の短かさ、別居期間の長さ、二人の別居状態、別居中の訴訟等の紛争状況、別居の原因の一つとなつた原告の母の問題が解決していないこと、原被告の性格(弁論の全趣旨によりこれを認める。)などからみて、既に前回訴訟の控訴審弁論終結近くにおいて破綻状態にあり修復不能になつていたものとみるのが相当である。

仮にしからずとするも、原被告の婚姻は、右の当時破綻に瀕していたものと考えられ、原告とA子の内縁関係の開始により、わずかに残つた糸も完全に切れ破綻に至つたものと判断する。

(二)  そして原被告間の婚姻が右のとおり前回訴訟の控訴審の終結近くにおいて破綻し修復不能になつていたものとすると、その原因は、原告の母の気むずかしさにもその一半があつたことを否定しがたいものの、大半の責任は、前回判決が指摘するごとく、原告が婚姻共同生活の融和をはかろうとしないばかりか、一途に離婚を希求し、これを実現するために、被告に対する思いやりを欠く手段を矢つぎ早やに次から次へと策し、当時取り立てて非難すべきところのなかつた被告に犠牲を強いようとしたところにあるものと認められる。

仮に原告とA子間の内縁関係の開始をもつて最終的に破綻したものとすれば、原告は前記の事由のほか、更に右の点においても有責であり、婚姻の破綻につきより多くの責任を有することになる。

(三)  しかしながら、本件においては、

(1) 原被告の婚姻関係は、同居期間がわずか七か月間しかないのに、別居期間が、破綻後においても約二〇年間、別居開始からみると既に二七年余にわたり、その間△△市と関東に別れ、離婚話以外にはほぼ完全に没交渉に打ち過ぎていて、夫婦とは名ばかりになつていること、

(2) 他方原告は二〇年前からA子と挙式、内縁関係を続け、二人の娘を儲け、社会的には一つの完全な家庭ができあがつているところ、この家庭には、当然のことながら原被告間の婚姻関係の整理、調整ができないことが深い影を落とし、長年にわたり娘らをまき込んで苦悩のため不安定な状態下にあること、また、やがて二人の娘が婚姻適令期を迎えるが、その際諸々の不利益を受けることが予測されるところ、この不利益は不当に内縁関係を結んだ原告らがその責任をとるべきでありそれで足りると割切つてしまつてよいものか、子の福祉の見地から躊躇せざるをえないこと、

(3) 原告やA子は、婚姻破綻後も、自ら、あるいは第三者をたて、被告あるいはその兄らに対し、私的にあるいは公的に離婚の話合いを続け、婚姻関係の整理ないし調整にそれなりの努力をしているところ、原告のそれは後述のごとく、被告に対する思いやりを欠くなどのためほとんど積極的な評価をしえないが、A子の真剣な努力にはそれなりの評価を認めることができること、

(4) 原告らは、本件訴訟の終盤近くにおいて、現有する自分らの大部分の財産を投げだして二五〇〇万円を作り、これを被告の離婚後の生活を保持するための財産として分与する旨真剣に申出ており、この申出は本件判決後も維持されるものと予測されるところであつて、現時点においては精一杯の償いをしようとしていること、

(5) 被告は、マンションを兄と共同名義で購入し、つましいながら一応安定した単身生活を送つていること、そして原告が提案している財産的給付を受け取るならば、離婚によつて相続権や公的扶助の受給権を失う点を考慮しても、経済面での損失はほとんどなく、また、その他に離婚によつて大きく生活状況が変化するものとも思われないこと、

(6) 原被告の間に子はいないから、その福祉を害することもないこと、

(7) 被告が現在離婚を拒否する態度の中には、原告らに対する反感、復しゆうの念が相当籠つていることが窺われる。もつとも、それは、原告が、婚姻の破綻前はもとよりその後の離婚交渉の中でも、被告に対する思いやりを欠き一方的に自分の離婚意思を押しつけようとしたことなどに起因しているところが大きく、一概に被告を責めることはできないところではあるが、近時はいささか度を過ぎていること

などの諸事情があり、原告が当初主としてその有責行為によつて婚姻を破綻せしめた事実があるとしても、これらの諸事情を総合して考慮すれば、既にその有責性の故に原告からの離婚請求を認めることが信義則に反するものとまでいうことはできないところであり、形骸化した婚姻関係をこれ以上継続せしめることは相当でないと考える。

(四)  してみれば、原被告の婚姻は現在婚姻を継続しがたい重大な事由があり、原告は自ら離婚を請求しうるものと判断する。

三よつて原告の本訴請求は、その余の点について判断を示すまでもなく正当であるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官笠井達也)

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